大学教授であり坊さんでもあった福岡 長性寺の野口善敬和尚のHPに、宗教家としてなかなか 言えない意見が掲載されていたのでリンクを貼っていたのだが、
なぜか無くなってしまった(涙)
まあ、要点を書けばお寺の庭にはぺんぺん草が生えているくらいがちょうど良いという 誠にもっともな意見であったのだが・・・・


と言うわけでここからが、我輩の宗教論である
「人間とは考える葦である」と昔の偉い人が言ったそうな。
考えると言うことは大事なことで、知恵があれば人間の暮らしが豊かになるように改善したり 便利な道具を発明したりと、大事なことが出来るものであるが、反対に人類が滅びる原因になる 悪い知恵や弱い知恵も働くのである

その2面性を持つ知恵の代表が宗教であり化学である   この頁は宗教についての頁なのだが、実は宗教と化学は切っても切れない関係なのである
確かにダイナマイトや原子力は人類の生活に役に立つものではあるが、同時に人類の滅亡にも 役立つ?のであり、まさに「馬鹿とはさみは使いよう」なんですね
そもそも宗教とは本来は、なまじ考える能力がある人間が、迷ったり良からぬ考えを持たない ように宗教の創始者が、自身の鍛錬や我慢によって悟りを開き、惑わずに気持ちの弱い人を 救ってあげる、または導いてあげようという思い上がった考えのもと、始めるので、創始者自身は 清廉潔白な人物であることが多いのだが、自分の欲を満たすため創始者を祭り上げて集金システムを 作り上げる自分の近くの悪人を見抜けない独りよがりな愚かな人物でもある
したがって結果として創始者の意図に反して貧しい人や信じやすい人を貧苦の世界に導くのである のだが、「信じるものは救われる」という巧妙な詭弁で心の弱い人から搾取するのを知らずに お亡くなりになるのが創始者である

宗教が一番あくどいのは在りもしないあの世というものを信じさせ、そこでは今よりずっと 幸せな生活が待っていると思わせることであり、今現在貧しくて不幸な暮らしをしている人が 多い、イスラム教あたりが一番過激な手段であの世の幸せを信じさせ、凶行に走らせるのである